竹子棒踊り
この棒踊りの起源は、鎌踊り同様明らかでなく、町内の古老の話によると、郷土の古典芸能として現在伝承されている棒踊りや鎌踊り等は、すべて島津義弘公の朝鮮出兵前後にその起源があると言われているので、棒踊りも300年以上前の慶長年間から現在まで伝わってきているのではないかと推察されます。その起こりは、五穀豊穣のものとも、朝鮮出兵の凱旋祝賀会や若者の士気を鼓舞するためのものであったとも言われています。
この踊りは、竹子地区では明治・大正年間、猿の人形を背負って踊る「猿の子踊り」と言われていたといい、昭和に入ってから棒踊りとして地区内の祝い事に舞われ始めました。春の祝日、極楽馬頭観音祭(竹子極楽)・稲荷神社(竹子宮脇)・前玉神社(三縄)等神社の祭りや新築祝いに舞われました。
このようににぎやかに踊られていましたが、終戦前後の混乱でその命脈も断たれようとしている寸前の昭和50年に、今別府下水流会と、竹子青年団により、民芸保存会が組織され、その人たちによって受け継がれ、夏祭り、ふるさと祭り、極楽馬頭観音祭等で踊られていました。
昭和60年には、溝辺中学校生徒に引き継がれ、文化祭や体育祭で披露されていました。その後は、一時休止状態でしたが、現在では、地区内にある竹子小学校の児童によって受け継がれており、溝辺地区文化祭等で披露されています。また、平成26年に地区の青年たちが、竹子棒踊り保存会を結成しました。
〔踊りのようす〕
踊りの服装・内容は、4人1組でかすりの着物に鉢巻き、五色の旗、猿の人形、かしの木の棒を手に、ユーモラスなしぐさを一部加えながらも「ア、ソッソッソッ」「コラマタズイ」などの発声によりかしの木の棒をたたき、男らしく勇壮に踊ります。
〔歌詞〕
オーセーエローホホーホホホホハハハハヤマデーエー
へエエエーヤレオセロガヤハハハマハハハデー
ヤーソーレハヨーホーホホーデナサマハハアヘーエ
ハエエンエーへへーホーヨーホダーハアラソイソイ
ンダーハハハエーヘヘヘヘヘーカマハヘワ
公開日時
溝辺ふるさと祭り等
公開場所
開催風景
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