川尻琉球人踊り
島津第16代義久が、富隈城に居城していた文禄・慶長の頃、琉球との交流があり、往来する琉球人を見た川尻の人々が、その道中の様子を真似たのが芸能化したといわれています。
親方1人、従者数人、太鼓1人、鉦1人、三味線2人、唄い手1人、傘さし1人、ナギナタ1人、箱持1人、和1人、ヒョウタン1人、ヤリ1人、総勢30人程です。
親方と従者1人がかけ合い、太鼓・鉦・三味線の楽に合わせて「向こうに桜島、お開聞」の唄で道行がはじまり、他の供衆をくりだします。身体を斜め後に倒し、右手は額にかざします。次に前に身体を起こし、前のめりになって前進します。大人、子どもと続き、舞台を1周します。次に大人だけで「やんばる」を踊り、さらに四つ竹を打ち鳴らしながら「大和ちゅう」を踊ります。大人が踊り終わると、子どもたちが「奴」の音楽に合わせて踊りながら、舞台中央に出てきて「加賀のお菊、ここは大阪」を造花で作った花笠を持って踊ります。
公開日時
10月第3日曜日隼人浜下り(その他イベントに参加)
公開場所
開催風景
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