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薩摩・大隅のくに

代国家の形成期,隼人とよばれた南九州の人びとは,大和朝廷の侵攻にさらされて抵抗する。8世紀になると律令制度のもと,全国は60あまりの国に分けられ,南九州には,薩摩と大隅,それに一国に準ずると認められた多褹嶋(後に大隅国に併合)の3つの国が置かれた。大隅では中央から派遣された国司の支配に抗して,大規模な戦いが繰り広げられたが,律令国家体制のもとに屈することになる。薩摩川内市では8世紀後半の薩摩国分寺跡が発掘され当時の伽藍が明らかになった。

9世紀に入ると隼人の朝貢も停止され,班田も施行されるなど,南九州も完全に律令体制に組み込まれた地域となっていった。

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