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1万3千年ほど前,弓矢で狩りをし,土器で食物を煮炊きする新しい生活が始まった。それからほぼ1万年間を縄文時代と呼んでいる。
縄文時代は6期に区分されるが,草創期から早期の南九州の縄文文化は,多数の住居からなる集落遺跡や貝殻文の土器文化,耳飾・土偶など,他の地域に先がけてめざましい発達がみられる。それは氷河時代が終わり,日本列島の南に位置する鹿児島が一番早く,温暖化の影響を受け,動植物相が変化したことに対応したためと考えられている。
その後,前期から中期にかけては遺跡数も少なく,鬼界カルデラの火砕流堆積物(アカホヤ火山灰等)の影響で,やや停滞気味の様相を呈するが,後期になると再び文化の興隆をみるようになる。
縄文時代の人々は狩りや木の実の採集,漁労などを営み,その生活は気候や植生の変化に大きく左右されるものであった。南九州では古い時期には落葉広葉樹,その後,次第に照葉樹の森が広がり,その森や海の恵みをうけて,地域性豊かな文化の創造がなされた。
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