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更新日:2024年7月5日

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展示の構成

 

プロローグ谷山郷士から城下士へ

谷山郷士であった父が城下士松方家を相続したことから全てが始まります。

第1章薩摩藩士時代

両親が若くして他界し,少年時代は貧困に苦しみました。しかし,島津久光の抜擢により扉が開き,重要な使者を任されるなど,激動の幕末を駈け抜けます。

第1節津久光の抜擢
第2節崎での活躍

第2章方官僚から中央官僚へ

維新を長崎で迎えた松方は,日田(現大分県)県知事として手腕を発揮し,大久保利通の抜擢により,新政府で地租改正を担当します。

第1節田県知事から地租改正局へ
第2節西郷・大久保の死

第3章方財政

大蔵卿・大蔵大臣となった松方は,西南戦争後のインフレに伴う紙幣整理,日本銀行の設立,金本位制の確立等,近代日本財政の基礎を築きます。この間2度にわたり内閣総理大臣も務めました。

第1節紙幣整理
第2節日本銀行の設立
第3節2度の組閣と金本位

トピック須野が原開拓と松方

栃木県の那須野が原には広大な原野であり,華族資本により開拓された大農業が点在していました。松方の千本松農場は主導的な役割を果たしました。

第4章老・内大臣時代

明治33(1900)年に第2次山県内閣の大蔵大臣を辞職し,政治の第一線から引退した松方は,最重要国策の決定に際し天皇を補佐する元老,又は天皇を常侍補弼する内大臣として歴代天皇に仕え,大正13(1824)年,90歳で世を去りました。

第1節元老・内大臣
第2節様々な栄誉
第3節皇家からの信頼の中で
第4節松鶴遐齢集」の世界

第5章郷鹿児島への貢献

松方は,旧主家である島津家の顧問として家政改革等に尽力したほか,鹿児島のことを終生大切に考え,様々な形で支えました。

第1節津家顧問
第2節鹿児島と松方

エピローグ松方とその家族

子どもたちが小さい頃の家庭人松方の手紙や,読めれば笑顔になれる三男浩次郎の手紙を紹介します。

よくあるご質問

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歴史・美術センター黎明館学芸課

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