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3世紀末から7世紀にかけて,日本各地に古墳が築かれた。鹿児島では,円墳・前方後円墳などの墳丘をもつ高塚古墳が,志布志湾沿岸部や薩摩半島北部西岸にみられ,これらは,初期の大和政権ともつながりを意味すると考えられている。大崎町の横瀬古墳の墳丘は九州で5番目,同時期では最大の規模を誇る前方後円墳である。
一方,県内には,地下に掘った横穴を墓室とする地下式の古墳(地下式横穴墓)や,板状の石を積み重ねた墓(地下式板石積石室墓)のほかに,土を掘りくぼめた墓(土坑墓)も分布し,高塚古墳以外にも多様な墓制が南九州にはあった。また,弥生式土器の系譜を引く成川式土器が用いられるなど,その生活や文化には強い地域性がみられる。
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