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更新日:2012年6月27日

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島津日新斎

島津家の内紛を収拾した忠良は,子貴久を守護職につけ,1550(天文19)年加世田へと退きましたが,その後も行者的,学者的活動で貴久を支援しました。
神儒仏教の合一,四書五経と朱子学の推奨と「伊呂波歌」の作歌で家臣団統率にあたり,近世大名としての島津氏の基礎をつくりました。日新斎の教えは,島津家の家訓として受け継がれ,薩藩士風の指針を示すとともに,精神文化の高揚に大いに役立ちました。

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