関ヶ原の戦い
豊臣秀吉の死後,徳川家康と石田三成との対立は,ついに1600(慶長5)年,諸大名が美濃国関ケ原に結集して天下を二分する戦いとなりました。石田方の西軍についた島津勢は,西軍総崩れのなか戦場に取り残されました。島津義弘率いる島津勢は,家康の本陣の正面突破をはかり,伊勢路への退却に成功しました。
戦いの後,島津氏は和戦両様の構えを崩さず,義弘に代わって家久が戦後処理にあたり,徳川家との関係の修復に努めました。島津氏は1602(慶長7)年,薩摩・大隅・日向諸県郡の支配を認められ近世外様大名としての歩みを始めました。
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