洋式技術の導入
1851(嘉永4)年薩摩藩主に就任した島津斉彬は,西洋の文物を取り入れ新たな産業を興すべく,様々な事業に取り組みました。
その概要は反射炉,製鉄溶鉱炉,大小砲鑚開台,ガラス製造所などの工場が建ち並び,1,200人を越える職工人足が働く大規模なもので,軍備の充実と資源の開発を実現するための工場団地でしたが,斉彬の死後一時縮小し,さらに薩英戦争の際の砲撃により壊滅しました。
その後,島津忠義により,蒸気機械所,紡績所など,さらに充実した施設が再興され,この時,建造された工場は,現存する日本最古の本格的工場建築となっています。
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