更新日:2012年6月27日
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島津家の内紛・三州の統一
1363(貞治2)年,島津第5代貞久は,師久に薩摩国守護職を,氏久に大隅国守護職を別々に譲りました。この後,師久は島津総州家,氏久は奥州家を名乗り,両家は対立するようになりました。
やがて,氏久の子元久が,薩隅日の三国守護職に就いたことで守護大名として島津家の統合がなされましたが,その後も永享国一揆,三国大乱,薩州家島津氏との対立など内紛反乱が続きました。
天文19(1550)年に島津貴久が15代当主の地位を確立したころは,北薩には菱刈や渋谷氏が,大隅には肝付,伊地知,蒲生氏が,日向には伊東氏が勢力をはり島津氏の勢力範囲は薩摩国の半分程度でした。
貴久は子の義久や義弘を率いて本格的な三州統一に乗り出し,蒲生合戦や菱刈合戦,伊東氏と戦った木崎原の戦いで勝利を得,天正2(1574)年,最後まで抵抗した肝付氏を降伏させ,同5年には伊東氏を日向から追って念願の三州統一を完成しました。
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