お由羅騒動
島津斉興の後嗣について,世子斉彬に対して斉興の愛妾お由羅の子久光を推す動きがありました。斉彬の子どもが相次いで死去したことが,お由羅一派の呪詛調伏によるものだという噂を生み,継嗣問題を一層紛糾させました。
斉彬擁立派の中心は近藤隆左衛門・山田清安・高崎五郎右衛門で,彼らは花倉屋敷での異賊調伏修法を悪意ありとし,斉興側近の島津久徳殺害をたくらんだといわれています。このような不穏な行動は,藩の知るところとなり,1849(嘉永2)年突然近藤・山田・高崎らが切腹を命じられました。さらに切腹・役免・遠島等の処分が相次ぎ,総数50余名にのぼりました。
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