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更新日:2012年6月27日

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秀吉の九州遠征

旧島津領を再統一した後,日向の伊東氏を破り薩摩・大隅・日向の三国を完全制覇した島津氏は,1581(天正9)年には肥後の相良氏を,1584(天正12)年の島原合戦で龍造寺氏を破り,肥後国を領土としました。
続いて肥前,筑後を従えた島津氏は,豊前の大友氏と九州制覇をかけて対峙するに至りました。

 

本能寺の変を収拾し,戦国時代の主導権を握った豊臣秀吉は,大友氏の要請もあり九州平定へと乗り出しましたが,島津・大友両氏に和睦を勧告するも,九州制覇へ向けて勢いづく島津氏がこれを無視し,大友氏討伐にとりかかったため,武力による九州攻めが行われました。
1587(天正15)年,薩摩へ向う秀吉方の大軍に,日向の根白坂において善戦空しく敗れたのを機に,薩摩国内への侵攻を許し,島津氏は秀吉の前に降伏。これにより,島津氏の九州制覇の夢は破れ,義久は薩摩を,義弘は大隅と日向の一部を安堵されました。

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