南方貿易
本土最南端に位置し,海上に南西諸島を有する鹿児島では,古くから中国との貿易が行われ,藩の財政を支えました。
中世以降も,坊津,山川,根占,秋目などの港は,幕府や民間の日中貿易の基地として重要な役割を果たし,鎖国後は,「抜け荷」という密貿易が公然と行われ,各港町には,豪商がいたといわれています。
しかし,享保年間になると,それまで緩やかだった民間抜荷の取締が強化され,代わりに藩自体が密貿易に乗り出し,藩の御用商の海運業者に黙認の形で抜荷をさせていました。
幕末には,調所広郷をはじめ,斉彬も密貿易政策を盛んに行ったため,当時の薩摩には,紀国屋文佐衛門などと並び称された浜崎太平次をはじめ,多くの豪商がいましたが,これらは皆,廃藩置県後,倒産することになりました。
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください