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更新日:2012年6月27日

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南方貿易

本土最南端に位置し,海上に南西諸島を有する鹿児島では,古くから中国との貿易が行われ,藩の財政を支えました。
中世以降も,坊津,山川,根占,秋目などの港は,幕府や民間の日中貿易の基地として重要な役割を果たし,鎖国後は,「抜け荷」という密貿易が公然と行われ,各港町には,豪商がいたといわれています。

 

しかし,享保年間になると,それまで緩やかだった民間抜荷の取締が強化され,代わりに藩自体が密貿易に乗り出し,藩の御用商の海運業者に黙認の形で抜荷をさせていました。
幕末には,調所広郷をはじめ,斉彬も密貿易政策を盛んに行ったため,当時の薩摩には,紀国屋文佐衛門などと並び称された浜崎太平次をはじめ,多くの豪商がいましたが,これらは皆,廃藩置県後,倒産することになりました。

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