西郷隆盛が手がけた“防波堤"を紹介します。
鹿児島県いちき串木野市羽島漁港に,玉石積みの防波堤が現存しています。
現在の波止場は,享保年間に島津藩が築いたといわれていますが,弘化4年(1847)に,当時20歳で郡奉行書役助(河川土木方書役助)を務めていた西郷隆盛が,
萬福池築造工事のため串木野に来ていたときに,その工事余剰金をもって羽島漁港を改修したといわれています。
萬福池でも使用された“玉石積み”の技術が,ここ羽島漁港の防波堤にも生かされており,当時の薩摩藩の技術の高さを痛感します。
羽島漁港は,古くから密貿易の基地であったようで,中世には,ここからとれる塩と密貿易の利益のため,豪族たちの奪い合いの地であったことが記録にあります。また,江戸時代には,島津藩は密貿易等の監視のために遠見番所と火立番所を設置していたようです。
「参考資料:串木野郷土史」
漁港の敷地内は
「薩摩藩英国留学生渡欧の地」として,出航を伝える碑や留学生が残した歌碑等が建てられており,歴史を感じることができる場所でもあります。
玉石積みの防波堤越しに見える景色も素晴らしく,南さつま市の金峰山や野間岳を望むことができます。
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