今年はどんなお顔?「じめさあ」のお化粧直し
現在の鹿児島市立美術館があるところは,明治25年から昭和12年まで,鹿児島市役所として使用されていて,鹿児島市によれば,昭和4年,当時の樺山可也(かばやまかなり)市長の時に,この石像が見つけられ,化粧を施したのが始まりなのだそうです。
「持明院」とは,およそ400年前の島津家18代当主家久の正夫人「亀寿」のことで,「じみょういんさま」が鹿児島訛りで,「じめさあ」と呼ばれるようになったとか。
じめさあは,器量には恵まれませんでしたが,人柄が良く,周りから尊敬されていたそうです。
そんな「じめさあ」を慕って,毎年,命日である10月5日にあわせて,鹿児島市広報課の職員が,じめさあをお参りし,お化粧をしています。
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