更新日:2020年6月8日
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医療の進んでいなかった時代は、ひとたび悪疫が発生すると猛烈な勢いで広がり、大勢の人が亡くなりました。そのような時は様々な加持祈祷が行われたり、最寄りの神社に踊りを奉納するなどして、病気の平癒を祈念するのが常であったとされています。
疱瘡(ほうそう)(天然痘)が流行すると、地元の婦女子は疱瘡の神様として有名な帖佐の米山薬師に踊りを奉納して、これにかからないように、またかかった場合でも軽く済むようにと祈りました。ここから疱瘡踊りが生まれたといわれています。
姶良市に伝わる太鼓踊りの創始者である、山田郷の池田千兵衛尉の家は代々歌舞音曲に堪能な人を輩出しましたが、二代目千兵衛尉は鹿児島から「すてな」という音曲の女師匠を招き、自宅に寄宿させていました。下名の疱瘡踊りはこの女師匠によって教えられたといいます。
踊りの衣装は、ホタ振リが陣笠に裃姿で、踊り子は黒の訪問着に笠と扇子を持ちます。踊りの入退場には道楽があり、出端・すてな節・薩摩新橋と続きます。以前は歌い手が円陣の中央におり、他の楽器を持つ者は踊り子の間に入ったといわれています。
9月に開催される姶良市・山田の里かかし祭りにて実施
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