上名地区棒踊り
〔由来〕上名は、姶良地区の東北部に位置し、中心街から8キロメートルのところにあります。周囲を山に囲まれた農村で、地区の中心部を別府川の支流山田川が南流しており、この川に沿って開かれた水田地帯に10の集落が点在しています。上名地区の棒踊りの由来については、朝鮮の役の凱旋祝いに踊られたものと言い伝えられていますが、一説では、その昔大洪水で水路が決壊した際、復旧工事に来ていた串木野の住人三左衛門という人が、伝授した踊りであるとも言い伝えられています。
〔構成〕踊りは、唄い手2人、踊り手24人で構成され、最初は2列に並び、道案内(ドラ打ち)の先導で進行し、2列に並んだまま3人一組で歌に合わせて棒を打ち合います。続いて4人一組となり、腰を割ったりして打ち合い、次に「中へ」が入って「6人やぐら」と呼ばれる6人組を作り、より一層激しく打ち合います。最後には元の2列に並びます。歌詞は次のとおりです。
お城が山は前は大川
山たろがねは川の瀬に住む
焼野のきじは岡の背に住む
〔服装〕踊り手は、男絣の着物に白タスキをかけ、白鉢巻を結び、背には5色のタスキを負い、腰に黒帯と青のねり紐を結び、黒の脚絆に黒足袋・ゾウリばきといういでたちで、それぞれ六尺棒を持って踊ります。
この踊りは、早いテンポで樫の六尺棒を激しく打ち合う勇壮な踊りで、古くは、郷社黒島神社のお田植祭に豊作を祈願して奉納されていました。終戦後は一時途絶えていましたが、その後青年たちの手により復活され、現在にいたっています。
しかし、次第に青年の数が減少し、青年たちのみでは伝承が難しくなったので、現在では青壮年による保存会を結成して、その保存伝承に努めています。
公開日時
黒島神社の春の例祭日(2月下旬)
公開場所
開催風景
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