更新日:2023年4月11日
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鎌倉時代の弘安5年(1282)、帖佐の領主となった京都石清水八幡宮の神官・平山了清(ひらやまりょうせい)は、八幡神宮の分霊を勧請(かんじょう)し、一族873人を伴って苦労して船で帖佐松原の地へたどり着きました。その後別府川をさかのぼり、東方の折橋山(おりはしやま)山上を社地に選び八幡神社を創建して、周囲には自身の居城である平山城(ひらやまじょう)を築いたといわれています。
浜下りは、この時の祖先の辛苦を忘れないために、松原の御門神社まで八幡神社の神霊を乗せた神輿の巡行を行う神事でしたが、平山氏が15世紀に豊州(ほうしゅう)島津家に敗れて没落するとさびれてしまいました。
その後16世紀末に帖佐宇都に居館を築いた島津義弘は、帖佐八幡神社を篤く崇敬し、朝鮮出兵や関ヶ原合戦に出陣する前に無事の帰国を祈願しました。また、関ヶ原合戦から帰国した際は御願成就の御礼として三十六歌仙額を奉納するとともに、浜下り神事を再興したとされています。
途絶と再興を繰り返してきた浜下り神事は平成19年(2007)に姶良町の無形民俗文化財に指定され、公開当日は甲冑姿の武士などに扮した地元住民が、帖佐の稲荷神社から松原の御門神社までの道のり約5kmを練り歩きます。
毎年11月の第二土曜日
帖佐稲荷神社から松原地区御門神社までを巡行
帖佐稲荷神社(住所:姶良市鍋倉778)御門神社(住所:姶良市西餅田4023)
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