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更新日:2024年12月25日

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春花太鼓踊り

〔由来〕太鼓踊りの由来についてはいろいろな説がありますが、一般には今から約400年前の慶長年間に、島津義弘の朝鮮からの帰国を祝って踊られたのが始まりと言われています。特に姶良では、義弘の家臣であった山田郷の池田千兵衛尉が、帖佐・重富の人々に教え広めたと言います。
 
〔服装〕踊りは、先導役のホタフリ、陣傘に陣羽織姿の鉦打ち、「ホロ」と「矢旗」を背負う太鼓打ちからなります。太鼓打ちの賑やかに羽を飾り立てた衣装は、観客の目を楽しませてくれます。顔の化粧は皆同じで、口紅と鼻筋の白粉を塗り、ヒゲをつけます。
 
〔構成〕初めの踊りは「庭入り」と呼ばれています。最初、道太鼓という打ち方で、会場の後方から前に進みます。隊列が整うと、向って左手の頭打ちが勢いよく左回りに走り出します。これを「逆走り」といい、一回半程度回ります。この時、右手の頭打ちと後ろの太鼓打ちは、右回りにゆっくりと円陣を組みます。終わりに近づくと、左右の頭打ちが三角形を描きながら元の位置に戻ります。この動きを「セキ寄り」といいます。これらの一連の踊りを3回繰り返します。2回目と3回目の「逆走り」の後には、鉦打ちの一人が「入り鉦」を行います。踊りは「退き太鼓」を合図に終わります。歌詞は次のとおりです。
 
伊勢ん熊野にうづらがほけるむかえん土手に鳴く鈴虫が

何とほけるか立ち寄り聞けば何と鳴くかと立ち寄り聞けば

御代は永かれ世は良かれ嬉しさに鳴くか悲しさに泣くか(中略)
 
姶良地区には、以前各地区に太鼓踊りが残っていましたが、今ではここ春花地区だけが、その伝統を守っています。現在、保存会では毎年夏休みに小・中学生を中心に公民館や船津公園で練習に励んでいます。
 
【問い合わせ先】姶良市役所

公開日時

8月21日
 

公開場所

興五神社,蒲生町辻通り~蒲生八幡神社(蒲生町上久徳2259(外部サイトへリンク))など

開催風景

鉦隊の一人が前に出て、大きく打ち鳴らす「入り鉦」
隊形が整えられ、その場で太鼓を打ち鳴らす
太鼓を合図に退場する

よくあるご質問

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観光・文化スポーツ部文化振興課

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