砂糖勝手売買運動
明治政府は,1873(明治6)年,貢納以外の砂糖の自由売買を認めました。しかし,鹿児島県は廃藩後の城下士族救済の財源として「大島商社」を設立し,前年に大島商社との間に砂糖の専売契約を結びました。商社商人の態度は旧藩の役人と変わらず,島民には大きい負担がかかっていました。丸田南里が,島民の不満を組織した結果,大島全郡一丸となった「砂糖勝手売買運動」がおこりました。しかし,鹿児島県は要求を拒否し,丸田を捕え説得しましたが,島民一丸となった運動に,明治12年頃大島・徳之島・喜界島の大島商社は解体に至りました。
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