寺田屋事件
1862(文久2)年4月23日,京都近郊の伏見の寺田屋で,薩摩藩尊攘派志士が殺害された出来事です。
当時上洛中の島津久光の意図は雄藩連合・公武合体にありましたが,藩士有馬新七らはこれを機に挙兵討幕を企て,関白九条尚忠,京都所司代酒井忠義の殺害を計画して寺田屋に集結しました。
これを知った久光は鎮撫のため,奈良原喜八郎ら9人を派遣したところ,両者は激しい論争ののち乱闘に及び,有馬ら6人は倒れました。
この乱闘は討つ者も討たれる者も同じ薩摩藩士でした。なお,若年の大山巌,三島通庸,西郷従道,篠原国幹など明治の元勲も参加していました。
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