薩英戦争
1862(文久2)年に起こった生麦事件で,薩摩藩はイギリスの要求を拒否し,戦争の準備を着々と進めました。イギリス艦隊は,本国からの訓令に基づいて,1863(同3)年7隻が鹿児島に来攻しました。同年7月2日イギリス艦隊は行動を開始,荒天の中で激しい交戦が続きました。イギリス海軍の開発されたばかりのアームストロング砲で,鹿児島城下の砲台や集成館などを攻撃し,ことごとく破壊しました。薩摩藩側も軍備は劣るものの,士気が盛んで訓練も十分であったので,互角に戦いましたが,藩は,この戦争で攘夷の不可能を悟り,藩論を開国へ大きく転回しました。
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