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更新日:2012年6月27日

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戊辰戦争

1867(慶応3)年12月,王政復古の大号令が発布され,天皇中心の新政府が樹立されました。新政府は小御所会議において慶喜の官位辞退と領地返納を決定しましたが,これに強く反発した旧幕府側は,翌明治元年1月2日,京都へと兵を進め,翌3日,鳥羽口・伏見で薩摩・長州兵と衝突しました。
1万5,000人の兵を誇る旧幕府軍に対して,新政府軍は薩摩3,000人・長州1,500人。しかし戦意・武器で勝る薩長軍は一歩も退かず旧幕府軍を撃退,1月6日,慶喜は江戸へと逃走しました。

 

江戸城を総攻撃する計画の下で,東征軍本隊が江戸をめざして進撃していたころ,将軍徳川慶喜は上野寛永寺にこもって,恭順の意を表し,徳川家の救済と家名の存続を嘆願していました。
そこで,幕府方の陸軍総裁勝海舟が東征軍参謀西郷隆盛に降伏を申し入れた結果,3月13日と14日の両日,薩摩藩邸で勝と西郷の会談がなされ,江戸城の無血開城が決定しました。
江戸の町は戦いの被害をまぬがれ,官軍は4月11日,平和のうちに江戸城に入城しました。

 

その後,彰義隊の戦い,奥羽北越戦争をへて,翌年の函館五稜郭の戦いにより,戊辰戦争は終結しました。
 

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