更新日:2021年3月2日
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八月口説き踊りは、藩政時代には盛んに新田開発が行われ、300年以上を経た今日でも、〇〇新田、〇〇新田川という名で呼ばれています。王子町から川東町に至る和田新田川(約6Km)もその一つです。
当時琉球を支配し搾取していた薩摩藩は、その工事に琉球の人たちを徴用し過酷な労役に服させていて、その人たちの望郷の念、悲哀の歌がこの口説き踊りの元歌であるとも伝えられています。
この口説き踊りは、県内各地にある八月踊りの一種で、和田新田川筋の各集落の踊りとともに、旧暦8月28日の和田井堰水神祭りに奉納されるものです。
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