隼人の抗戦
南九州に住む人びとは「薩摩隼人」・「大隅隼人」とよばれ,天皇の政治に従わない化外の民とみなされていました。しかし,それは一方的な見方で,隼人にすれば安住の地を無体に侵されたことに対する抵抗だったのです。
対朝廷戦は繰り返し行われましたが,720(養老4)年から翌年にかけての戦いが事実上最後の戦いとなります。総勢1万を超える朝廷軍に隼人は果敢な抵抗を続け,相手に少なからぬ苦戦を強いたと伝えられています。長期戦の末,ついに敗北に至りますが,朝廷の支配に組み込まれていく過程には,隼人たちの身を賭した抵抗の歴史が数多くあったのです。
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