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更新日:2021年12月7日

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大田太鼓踊

今からおよそ400年前、島津の殿様(義久とも)から、「農民達の慰安になる何か良い踊りはないか」との相談に、大田の報恩寺住職雪岑が考案して生まれたと伝えられています。島津家久(忠恒)の琉球侵略の際の様子を踊りにしたともされ,雨乞いや虫送り,豊作祈願としても踊られていたとされます。
構成は太鼓14~15人,鉦8人、入太鼓(イデコ)2人、総舞攻(師匠格)1人の計25~26人で、いずれも男子です。

太鼓打ちは,白装束にシュロや色紙で飾った毛笠状のカブトをかぶり,腰にはとても長い柄の木刀を差し,細竹で作った長い矢旗を背負っています。入太鼓打ちは,花笠に浴衣姿,鉦打ちは,陣羽織と陣笠をつけます。矢旗や花笠は色鮮やかな色紙で飾られます。

この踊りは、城攻めの様子をあらわしたものとされ、「道行き」から始まって、最後の「総舞攻め(ソマンコ)」に至るまで、15段階に分かれています。城攻めの踊りというだけに、進退のあざやかさに特徴があります。
大田太鼓踊由来記が昭和25年に作成されており、この中に踊りの型や順序、配列など詳しく書かれています。
昭和39年6月5日に鹿児島県無形民俗文化財に指定されました。
 

公開日時

毎年10月第4土曜日

公開場所

開催風景

全員での隊形
激しく動く太鼓
鐘と小太鼓

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観光・文化スポーツ部文化振興課

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