更新日:2023年11月24日
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太平洋戦争を通じて国に殉ぜられた軍人軍属のうち,鹿児島県出身者と思われる方々で,御名前の不明な御遺骨等の御霊の御冥福と御遺族の御多幸をお祈りするため,昭和27年5月2日に鹿児島県が建立したものです。
昭和27年当初の納骨は,終戦時に連隊区司令部から西本願寺鹿児島別院に預けられていた無名戦士の御遺骨と,県の世話課に保管していた無名戦士の御遺骨でしたが,その後,県内各地に埋葬されていた御遺骨のほか,南方諸島での遺骨収集における分骨や霊砂を納骨し,現在は御遺骨340柱,分骨446柱及び霊砂が納められています。
鹿児島市照国町城山公園(探勝園)照国神社境内隣(鹿児島市照国町19)
沖縄戦で散華した本県出身者2,582名(富山丸沈没戦死者を含む。)の御霊の御冥福をお祈りするため,昭和39年11月21日に沖縄戦没者鹿児島県慰霊塔建立期成会によって建立され,その後鹿児島県に無償譲渡されたものです。
碑名は鹿児島県で公募した際の一高校生の当選作であり,安らかにと祈る気持ちを現したものです。
なお,正面後ろの碑を割ってつないだ姿は,戦争の惨禍によりお互いがずたずたに切り離されましたが,肉親や故郷を渇望しつつ沖縄で散りはてられた人々と私どもの断つことのできない永遠の「きずな」を表現したものです。
沖縄県糸満市摩文仁上原649-7
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