管窺愚考
管窺愚考は、「旧記雑録」の編者で知られる薩摩藩随一の史家・伊地知季安の著書で、島津氏の名の起こりとなった島津荘の由来と島津忠久の一代について記した史書。この著書は、島津斉宣(なりのぶ)・斉彬(なりあきら)の賞賛をうけて「島津御荘考」と書名を改めた。
この部分は、島津荘の起こりを記した箇所だが、それを「万寿3(1026)年ごろ太宰府大監平季基(たいらのすえもと)が日向国島津院(現・宮崎県都城市)の荒野を開発し、宇治関白頼通(かんぱくよりみち)に寄進したのが始まり」としている。
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