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更新日:2022年12月23日

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百疋村弁済使補任状

宮崎県立総合博物館蔵【複製】

「百疋村弁済使補任状(複製)」画像


弁済使(べんざいし)は,平安時代一部の国ないし荘園公領におかれ,官物租米などの徴収にあたる役職。島津荘においては,半不輸領寄郡(よりごおり・よせごおり)のみにおかれ,「荘園の課役」を勤仕せしめることを任務とし,その任用は領家側の推挙,国衙の承認という手続きが必要とされた。
弁済使は,地方にあっては,下司,郡司,院司などとも呼ばれた。富山(とみやま)氏は島津荘にあって領家の命を受けて荘園の事務を司っていたが,安元2(1176)年に百引村弁済使に補任された。

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