七村太鼓おどり
慶長3(1598)年9月、島津義弘公は、朝鮮の出陣で戦功を立てて帰国しましたが、その後豊臣秀吉が亡くなり、慶長5(1600年)年の関ヶ原の戦いで、徳川家康が勝利し、全国の諸勢力は家康に帰服しました。
義弘公が江戸に赴いた際、江戸ではコレラが流行しており、不安が広がっていたようですが、たまたま駿河の念仏おどりが町中を練り歩いていて、その疫病が下火になったと言われています。そこで、義弘公はこの功徳の偉大さと朝鮮からの凱旋を合わせて、藩内に残そうとしました。
財部では約二百年前から踊られていたと言われ、かつては南俣・北俣・下財部の各地区が、日光神社で「三ヶ村打ち込み」を行ない、踊りの評価を競ったそうですが、現在は南俣の七村地区だけに残っています。
踊りは、太鼓と鉦を鳴らし、背中の矢旗をなびかせながら隊列を組んで、いくつかの番組を踊ります。
公開日時
そお市民祭において3年に1回披露(H29年度披露)
公開場所
開催風景
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