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鹿児島県から日本全国へと広まり、歴史に大きな影響(えいきょう)を与えた(あたえた)2つのできごとを紹介(しょうかい)します。
天文12(1543)年、種子島(たねがしま)の門倉岬(かどくらみさき)に漂着(ひょうちゃく)した中国船に乗っていたポルトガル人により、日本に初めて鉄砲(てっぽう)が伝わりました。
島主の種子島時堯(たねがしまときたか)は、現在(げんざい)のお金で約1億円(およそ2,000両)という大金を払って(はらって)2丁を購入(こうにゅう)し、それをもとに鉄砲(てっぽう)を作らせました。やがて鉄砲(てっぽう)は日本中へと伝わっていきました。
そのころの日本は室町時代で、足利幕府(あしかがばくふ)の力は弱く、戦国大名(せんごくだいみょう)たちによる戦(いくさ)が多くありました。大きな破壊(はかい)力を持つ鉄砲(てっぽう)は、それまで刀や槍(やり)などが主な武器(ぶき)だった戦(いくさ)のスタイルを大きく変えていきました。
鉄砲(てっぽう)伝来から6年後の天文18(1549)年、イエズス会の宣教師(せんきょうし)フランシスコ=ザビエルの一行がキリスト教の布教(ふきょう)のため、鹿児島市の稲荷川(いなりがわ)河口(かこう)付近に上陸しました。島津(しまづ)家の第15代当主、島津貴久(しまづたかひさ)の許可(きょか)を得て、日本で初めての布教(ふきょう)活動を鹿児島からスタートさせ、大分県や山口県などへも出向いて積極的に布教(ふきょう)活動を行いました。
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