更新日:2021年11月4日
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日新公と敬われた島津忠良(1492年生)は,仏教・儒教・神道を極め,学問や武芸にも秀でた名将で,のちの島津氏による薩摩,大隅,日向の三州統一の礎を築き,島津中興の祖といわれています。
忠良が作ったいろは歌は,人間として社会に生きる道,人の上に立つ者の心得を説いたもので,薩摩藩の郷中教育の聖典とされており,明治維新を成し遂げた薩摩の志士たちにも大きな影響を与えました。
「古への道を聞きても唱えてもわが行いにせずばかひなし(昔からの立派な教えをいくら聞いても、またどれだけ口先で唱えても、自分で実行しなければ何の役にも立たない。)」など総数47首の歌に詠みこまれた精神は,現代社会でも通用する内容となっています。
忠良を祭った南さつま市の竹田神社の境内には,イヌマキの並木道の「いにしへの道」があり,日新公のいろは歌の47石碑が並んでいます。
この道を歩き,47の歌を唱え,また,その意味をかみしめながら,同じように唱えていたであろう西郷や薩摩藩士に思いをはせてみませんか。
なお,平成30年は,明治維新150周年だけでなく,日新公没後450年でもあり,いろは歌のカルタ取り大会や講演会など,様々なイベントが計画されています。
「いにしへの道」の奥には、「日新公」,日新公の妻「寬庭芳宥大姉」,日新公の三男「島津尚久公」の墓があります。
↑日新公の墓
↑寬庭芳宥大姉の墓
↑島津尚久の墓
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