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更新日:2022年3月24日

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「鹿児島五社」の六月灯を紹介します!!

鹿児島では,7月に県内各地の神社で,縁日に灯籠をともして夜祭りを行う「六月灯(ろくがつどう)」が行われました。
六月灯は鹿児島では古くから行われている伝統行事で,その由来は,初代島津忠久の供養で家臣が灯籠をともし,庶民に広まったとか,第19代島津光久が,鹿児島の上山寺新照院の観音堂を建立した際に,灯籠を付けさせたのが始まりとか,牛馬の疫病や田の害虫駆除の民間行事が変化したものだとか諸説があるようです。
 
鹿児島市内で,古くから島津の城下町として開けていた上町(かんまち)一帯には,鹿児島五社(南方神社,八坂神社,稲荷神社,春日神社,若宮神社)といわれる五つの神社があり,この五つの神社を巡ってお参りする「五社参り」が昔ながらの風習として残っています。
どれも島津氏と深いつながりがあるようです。
 
今回は,その五社で行われた六月灯の様子を紹介します。
 
下記内容については,「鹿児島市のホームページ」及び「かんまち本」を参考にしております。
 

「南方(諏訪)神社」(鹿児島五社の第一)

島津家第五代貞久が,南北朝時代に東福寺城を攻め落としてから,建てたものといわれています。この南方神社は,代々の藩主の信仰がもっとも厚く島津氏の氏神になっていました。
南方神社では,毎年八月二十八日に大祭が行われ,諏訪市とよばれる市が開かれていたそうですが,平成6年には姿を消してしまいました。
しかし,平成23年の開催から,約20年振りに諏訪市が復活しているそうです。
 
住所:鹿児島市清水町(国道10号線沿い,清水バス停近く)
 
南方神社

「八坂神社」(鹿児島五社の第二)

その昔,稲荷川の河口の干潟からと祗園社辺りの一帯を祗園浜(祗園之洲)と呼んでいました。祗園社は明治になってから八坂神社と呼ばれるようになり,現在でも八坂神社の祭りは「御祗園(オギオン)サー」と呼ばれて,鹿児島の夏の大きな祭りになっています。
 
住所:鹿児島市清水町(祇園之洲公園近く)
 
八坂神社

「稲荷神社」(鹿児島五社の第三)

島津家初代忠久の母,丹後局(たんごのつぼね)は,源頼朝夫人政子の迫害を受けそうになったので,鎌倉をのがれて大阪の住吉まで来たとき,急に産気づいてきてしまい,住吉神社の境内で忠久を産みました。
そのとき,稲荷大明神のお使いの「きつね」が照らしてくれた明かりによって,無事に出産することができたという言い伝えから,稲荷神社は建てられたと言われています。
もともと,日置郡市来町(現:いちき串木野市)にあったものを,島津家九代忠国のときに,鹿児島に移したのがこの神社の始まりだそうです。
また,大正時代のころまでは,二頭の馬による流鏑馬(やぶさめ)と,稲荷の市も行われ賑わったそうです。
 
住所:鹿児島市稲荷町(清水中学校近く)
 
稲荷神社

「春日神社」(鹿児島五社の第四)

奈良にある藤原氏の氏神である春日神社の分社で,鹿児島市春日町(春日交番)の近くにあります。
年代ははっきりしませんが,長谷場直純が初めて鹿児島に入り東福寺城を築いた頃,船着場に建てられたと伝えられています。
また,この付近からは,縄文時代の遺跡が発掘され,春日遺跡といっています。
 
住所:鹿児島市春日町(春日交番近く)
 
春日神社

「若宮神社」(鹿児島五社の第五)

この神社は,島津家五代貞久が建てたもので,代々藩主を相続するときは必ず報告し,お祭りが行われました。
また,明治初年までは,若宮八幡宮と呼んでいたそうです。
そして,境内からは,縄文後期の竪穴式住居が発見され,若宮遺跡といっています。
 
住所:鹿児島市池之上町(大竜小学校の東側)
 
若宮神社

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