宇留満乃日記
島津久光は藩命に従わなかった西郷を徳之島へ,西郷と行動を共にした村田新八を喜界島へと処罰した。その際,村田は山川出帆から喜界島に到着するまでの航海の模様を日記に書いている。村田はこれを「宇留満乃日記(うるまのにっき)」と名付けている。なお,手紙は兄あてのものである。
村田は,明治10(1877)年2月,西南の役が始まると西郷軍の2番大隊の指揮長として従軍し,城山で9月24日戦死。42歳。
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