永嶺の収納米
薩摩の支配下に置かれた時期,大島・徳之島はサトウキビ作を強制され,沖永良部西方間切は,徳之島の食料供給基地にされました。240年の永きに亘り,私共の先祖が如何に苦労されたか,西方で生産された米,ヒエ,粟,大豆に至るまで全部没収され,永嶺のお蔵に収納されました。この踊りは,無事に収納されたことを祝う踊りです。
踊りは円陣になって踊り,真ん中で網笠をかぶり,両手に扇子を持ち,ハヤシを言いながら踊ります。
踊りの特徴は,円になる人たちがそれぞれ鉄製の器を持ちながら踊ることです。鉄製の器はこれといって決まっていないようで,不要になった鍬の刃や鋤の刃等まちまちです。
公開日時
不定期
公開場所
開催風景
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