中山町下虚無僧踊り
中山の虚無僧踊りは、豊臣氏滅亡にあたり、有水善右衛門重政が主家の再興を図って農兵をおこそうとして教えたとする説と、王政復古の頃に、虚無僧に扮した幕府の密使が無礼な振る舞いをしたため、農民たちが持ち合わせていた天秤棒でこれをうち果たしたということから始まったとする説があります。
この踊りは棒踊りの一種ですが、棒・小太刀・扇子と三種の持ち物を扱い、体型や踊りにリズミカルな変化を持たせ、勇壮活発に踊るところ等、この種の踊りの中では異色なものです。
元来、白山神社の秋祭りに奉納されるものでした。踊り子の中心は中山町下の平馬場・福永・真方・大薗の4地区の二才組(青年たち)で、「歌い手」「ハタツキ」「踊り手」で構成されています。踊り手は、虚無僧と棒つかいに分かれていて、踊りは「庭入り」の後、1番から5番まで踊り、「引き庭」で終わる迫力ある踊りです。
昭和38年(1963)に鹿児島県の無形民俗文化財(民俗芸能)に指定されています。
公開日時
8月上旬
公開場所
開催風景
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