更新日:2022年1月17日
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島津義弘公が文禄・慶長の役の戦勝を祝って踊らせた説や,財政ひっ迫の折り,開田のための農民動員をした25代藩主・重豪公が余興として踊らせた説など諸説ありますが,農作業の合間のレクレーションだったと伝えられています。
踊りの仕草に地面をたたく動きが多いため,眠っている地の霊をおこして,豊作を願うものと言われています。
昭和49年に復活させ,現在まで踊り続けられています。
【問い合わせ先】指宿市教育委員会歴史文化課(外部サイトへリンク)
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