更新日:2022年1月17日
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江戸時代,第21代島津家当主島津吉貴の子である因旛三郎忠卿は体が弱く,療養するため錦江湾を回っている時に,今和泉を気に入り,島津家の分家領地として移り住んでいました。その際,農民から敬愛の念が厚かったことから,病弱な因旛三郎忠卿を慰めるために棒踊りを踊ったことが由来とされています。
三尺棒と六尺棒の2種類の棒が使用され,激しくペースが速い踊りが特徴です。
【問い合わせ先】指宿市教育委員会歴史文化課(外部サイトへリンク)
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