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薩英戦争

津久光が文久2(1862)年8月,幕政改革を終えての帰途,東海道生麦村で行列に遭遇した騎馬イギリス人4名が,下馬してよけることをしなかったことから藩士に斬られ,3名の死傷者をだすという生麦事件がおきた。イギリスは,薩摩藩に対して犯人の処刑と賠償金25000ポンドの支払いを要求した。薩摩藩はこれを拒否したので,翌年6月27日イギリス艦隊7隻が鹿児島に来航し,7月2日に薩英戦争が起こった。

の戦争で薩摩藩は,イギリスの力を実感した。一方イギリスも,薩摩藩の実力を認識し,これを契機に薩英間の接近がなされた。このことは,幕末維新期における政局の展開に重大な影響を及ぼした。

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