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江戸幕府は,宝暦3(1753)年に薩摩藩に木曽川治水工事の御手伝普請を命じた。薩摩藩は,平田靱負を総奉行に任じ,藩士・足軽以下約千人を派遣した。工事は1年3ヶ月を要し,宝暦5年3月完了したが,大榑川洗堰工事は難工事であったために,約40万両の経費がかかり藩財政は大きな打撃を受けた。また工事中の自害・病死などの犠牲者も80余名にのぼった。宝暦5年5月工事検分終了後,平田靱負は工事の一切の責任をとり大牧村役館において自刃したとされる。
昭和13(1938)年,木曽川治水工事の犠牲者をなぐさめるために地元の人々が全国から基金をつのり治水神社が創建された。
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