源頼朝下文
のちに島津氏初代となる惟宗忠久は,元暦2(1185)年8月17日付で源頼朝より摂関家の一つ近衛家の所領で薩摩・大隅・日向に広大な面積をもつ島津荘の下司職(げししき)に補任された。
下司職は,荘園の年貢の徴収,荘園内の治安維持など基本的には荘官と同じ職務を持つものだが,鎌倉幕府から任じられ,荘園領主から任じられる私的な荘園管理人とは本質的に意味合いが違う。
下文中に,島津荘の荘官は忠久の命令に従うように強調されていることからみると,島津荘内における総地頭職を意味する下司職補任であったことがわかる。当時は,同年3月の平氏滅亡後,九州地方における戦後処理と治安維持が政治課題となっていた。
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