島津貴久書状
永禄3(1560)年,将軍足利義輝(よしてる)は島津貴久に書を送り,二十年来島津氏と伊東氏が争っている飫肥(おび)についての調停に乗り出した。その内容は,係争の地・飫肥については幕府の直轄地とすること,その内伊東氏の領地は伊東義祐(よしすけ)に還付するというものであった。貴久はこれを不服とし,弟の忠将(ただまさ)を使いに立てて幕府に対して調停案の再考を求めたが成功しなかった。
この書状は,永禄4(1561)年8月24日付で幕府の調停についての対応を貴久が子義久(よしひさ)に書き送ったもので,この時期の日向をめぐる伊東氏と島津氏の対立抗争の様子がよくうかがえる。
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