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西郷隆盛は,朝鮮問題に対する考え方の違いから,中央を去り下野した。
彼を慕い多くの若者が帰ってきたので,西郷は彼らを教育するため私学校を設立した。
そのころ,鹿児島では独自の県政が行われ,他県との歩調がそろわなくなっていたので,政府はいろいろな対策をとった。この政府のやり方に不満をもった私学校生徒は明治10(1877)年1月末,鹿児島にあった政府の火薬庫を襲い,ここに西南戦争が起こった。
戦場は熊本・宮崎などに広がったが,政府軍におされて西郷軍は鹿児島の城山に退き,9月24日,西郷らが自刃し,戦いは終わった。
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