閉じる

  •  
 
 

閉じる

 
 

ホーム > 地域振興局・支庁 > 熊毛支庁 > 健康・福祉 > 感染症関係 > ハンセン病問題を正しく理解するために

更新日:2023年5月29日

ここから本文です。

ハンセン病問題を正しく理解するために

ハンセン病問題を正しく理解する週間
令和5年6月18日(日曜日)から6月24日(土曜日)

ハンセン病問題に対する正しい理解の促進と,ハンセン病であった方々等に対する偏見・差別の解消に努め,これらの方々の名誉の回復を図ることを目的に,集中的に啓発する機会として,「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」である6月22日を含む,日曜日からの1週間を標記週間として定めています。

長い間,偏見や差別に苦しめられたハンセン病であった方々や家族が,平穏に安心して生活できる地域づくりのために,また,二度とこのような悲しい歴史を繰り返さないために,私たち一人ひとりがハンセン病問題とは何かを正しく理解することが大切です。

ハンセン病とは

ハンセン病は,「らい菌」という細菌に感染することで引き起こされる感染症の一種です。
かつては「癩(らい)」と呼ばれていましたが,差別的なイメージがつきまとうことから,現在はらい菌を発見したアルマウェル・ハンセンにちなんで「ハンセン病」と呼ばれています。
わが国に感染源となるものはほとんどなく,らい菌の感染力は弱いため,現代においては感染することはほぼありません。

ハンセン病の症状

ハンセン病は、主に皮膚や神経系に損傷を与え,ゆっくりと進行する慢性感染症です。初期症状は皮疹と呼ばれる皮膚の病変と、痛さや熱さの感覚が失われる知覚麻痺です。治療せずに病気が進行すると、手足や顔などに運動障害や変形があらわれます。
ハンセン病の原因となるらい菌は発症させる力が弱く、菌が体の中に入っても多くの場合は免疫機能により発症することはありません。

ハンセン病は治る病気

現代では,特効薬が開発されており,完治する病気です。薬による治療だけで治すことができ,入院する必要もなく,仕事や通学をしながら治療できます。早期に治療すれば障害も全く残りません。
ハンセン病であった方々の身体の変形は,診断や治療が遅れたことによる後遺症です。

ハンセン病問題について

ハンセン病問題とは、近代以降の国の間違ったハンセン病対策が原因で、患者、回復者およびその家族の方々の人権が侵害され、甚だしい偏見差別にさらされた人権問題です。

日本のハンセン病の歴史

1873(明治6)年、ノルウェーの医学者アルマウェル・ハンセンが、らい菌を発見しました。1897(明治30)年には「第1回国際癩会議」(ベルリン)が開催され、「ハンセン病はらい菌による感染症である」ことが国際的に確立されました。

しかし、日本では、それまでいわれていた「遺伝病」説が完全に消えることはなく、その上に「感染する」という概念も加わり、社会に広まっていきました。そして,ハンセン病患者は,病による外見の変化と感染の恐れから差別を受け,家族に迷惑がかからないように故郷を離れて放浪する「放浪癩」と呼ばれる方が数多くいました。

その後,政府は「日本は一等国になったので、患者が神社仏閣等で浮浪していたり,路上で物乞いをすることは国の恥である。これらの取締りが必要である。」とし,1907(明治40)年に「癩予防ニ関スル件」を制定し,放浪癩をハンセン病療養所に入所させ,一般社会から隔離しました。

1931(昭和6)年には「癩予防法」が制定され、ハンセン病絶滅政策という考えのもと隔離の対象は、自宅で暮らしている患者も含めた全患者に拡大し、「絶対終生隔離」へとエスカレートしました。また,この法律に先だち1929(昭和4)年に「無癩県運動」が開始されていました。運動の推進は、市町村長、警察、方面委員、宗教者、愛国婦人会らによって行われ、その目的は患者を摘発、排除し、地域から患者を一掃することにおかれました。この運動がハンセン病の危険性を過度に強調して恐怖心をあおり、患者及び患者家族の差別、迫害を助長しました。

1943(昭和18)年には、プロミンという薬がハンセン病の治療に有効であることがアメリカ合衆国で報告されました。1947(昭和22)年、日本でも治療に使われるようになり,ハンセン病は治る病気になりました。しかし、日本ではその後も隔離政策を続けました。

こうした政策に対し、1951(昭和26)年に、入所者たちは自分たちの自治組織を結成し、国会陳情、ハンスト、デモ、座り込みなどを行い、命がけで法の改廃に向けて闘いました。しかし、1953(昭和28)年、新たに「らい予防法」が制定され、強制隔離の政策は,1996(平成8)年の「らい予防法」廃止まで続きました。

療養所のなかでは、医療や食事も不十分で、労働をさせられたり、監禁室に閉じこめられたり、患者は囚人のような扱いをうけていました。さらには、子どもを産ませないための断種手術や中絶手術がほとんど強制的に行われていました。ハンセン病療養所は、患者が病気を治して社会に戻っていくための施設ではなく、囚人同様の待遇のもとで生涯を過ごすための場所でした。

ハンセン病問題の解決に向けて

1998(平成10)年7月,熊本・鹿児島の国立ハンセン病療養所の入所者13人により,熊本地裁に「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟が提訴され,2001(平成13)年5月,同地裁で原告が勝訴,政府は控訴をせずに判決が確定しました。国は,長年にわたる隔離政策の過ちを認め,患者,元患者の方々に対して多大な苦痛と苦難を与えたことを謝罪しました。

2008(平成20)年には「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が成立します。この法律はその前文で、「ハンセン病の患者であった者等が、地域社会から孤立することなく、良好かつ平穏な生活を営むことができるようにする」こと、「偏見と差別のない社会の実現」等に取り組む必要があると指摘し、「ハンセン病の患者であった者等の福祉の増進、名誉の回復等のための措置」を通してハンセン病問題の解決を図るとしています。また,2019(令和元)年11月には,一部改正があり,名誉の回復等の対象に元患者等の「家族」が追加されました。

本県では,療養所入所者や退所者の方々への社会復帰等に関する相談業務や里帰り支援を行うとともに,家族の方々に関しても福祉の増進及び名誉の回復のための取組を進めていくこととしています。また,多くの県民にハンセン病に対する正しい知識やハンセン病問題に対する理解を深めていただくために,普及啓発活動を行っています。市町村においても,療養所退所後の支援や啓発活動が行われているところです。

関連資料

ハンセン病問題を正しく理解するために(リーフレット)(PDF:4,834KB)
ハンセン病に関する情報ページ厚生労働省(外部サイトへリンク)

県内の国立ハンセン病療養所
国立療養所星塚敬愛園(外部サイトへリンク)
国立療養所奄美和光園(外部サイトへリンク)

よくあるご質問

このページに関するお問い合わせ

熊毛支庁保健福祉環境部健康企画課

電話番号:0997220018

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?