錦手虫篭(竪野系)
慶長6(1601)年,金海(星山仲次)は,帖佐にいた島津義弘に召し出され宇都窯を築いた。翌年には,命によって陶法修業のため瀬戸,美濃地方に出かけ,帰国後は茶陶を焼くようになった(宇都窯の開窯は,金海の帰国後の慶長11年という説もある)。伝世品は茶碗が多く,朝鮮の白陶土を用い,朝鮮陶工の手になる火計手と呼ばれる「白薩摩」のもとになるものがある。白薩摩の特徴的な技法の一つに透彫がある。特にこの虫籠は,実際に竹を編んだように緻密な彫りが施してある。また,絵の部分には日本画を見るような絵付けがしてあり,完成度の高い作品と言える。
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