更新日:2022年3月29日

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歴史的建造物

 出水武家屋敷群(出水市国選定重要伝統的建造物群保存地区)

出水は、肥後(熊本)に接しており、海陸ともに最も重要な位置にあったため、薩摩藩の外城となる石垣を築いた武家屋敷兼陣地を設けた。
特徴ある美しい石垣、武家門住居など、往時の薩摩藩の武家集落の面影をとどめ、静粛なたたずまいをみせている。
既に国の指定を受けていた知覧に続き、県で二ケ所目の武家屋敷群として平成7年12月に保存地区に指定された。

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 旧鹿児島紡績所技師館「異人館」(鹿児島市国指定重要文化財)

1867年(慶応3年)、イギリスの紡績機械を購入し、わが国初めての機械紡績工場が誕生した。このとき招いたイギリス人技師のために建てられたのが、「異人館」と呼ばれる宿舎である。木造二階建て、初期の西洋建築として貴重な建物である。1884年(明治17年)、鶴丸城跡に中学造士館が設けられた際、磯から鶴丸城跡に移築され、七高造士館本館として長く使われたが、1936年(昭和11年)に再び磯に移築された。

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 祁答院家住宅(けどういんけじゅうたく)(伊佐市国指定重要文化財)

江戸中期の薩摩藩郷士の住宅として残された数少ないもののうちで、当時の姿を最もよく保っているといわれる。オモテ・ナカエ・ウスニワの三棟が連なった珍しい構造で、薩摩藩の武家屋敷として貴重な遺構である。

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 佐多旧薬園(南大隅町国指定史跡)

薩摩藩の薬園の跡で、この他、吉野、山川にも薬園があった。「三国名勝図会」によると、「佐多薬園の創建時期は明らかではないが、宝暦、明和の頃(18世紀後半)創建されたともいう」という記述がある。本草学に造詣の深かった島津重豪が経営につとめたものという。リュウガン、レイシ、アカテツ等当時としては珍しい植物や薬草が栽培されていた。

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 尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)(鹿児島市国指定重要文化財)

幕末の名君、島津斉彬が力を注いだのが西洋技術の導入。それらの工場群を総称して集成館と呼ばれていた。最盛期には、溶鉱炉、火薬、ガラス製造、陶磁器製造などに、一日1,200人もの職人が従事していたといわれる。現在は、島津家の遺品を展示した資料館になっており、近代日本の原動力となった逸品を見ることができる。

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 高倉・群倉(たかくら・ぼれくら)(大和村)

昭和の初期まで、南方の農家には、穀物を貯蔵する高床式の倉があった。4本の丸太柱でカヤ葺き屋根を支え、通風のよいように壁のない構造になっている。柱の上部には鼠返しを備え、湿気も防げる。屋根の部分が倉庫になっていて、その下の吹き抜けの空間は雨天の作業場に使用したという。この高倉が集まっているのが群倉と呼ばれ、火災などから食糧を守るために人家から離して建てられていた。大和村の群倉は奄美に現存する唯一のもので、貴重な遺産である。

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 知覧武家屋敷群(南九州市国選定重要伝統的建造物群保存地区)

南九州市の郡地区に、江戸中期に造られた武家屋敷と庭園が集落をなして現存している。主な庭園は7つで、大刈り込みに石組を配した独特の枯山水式庭園である(うち一つは池泉式)。石垣や犬槇の生垣、門構えなど、江戸時代の麓集落の雰囲気をよく残しており、付近一帯がそのまま国の重要伝統的建造物群に選定された。県内にはこの他、出水市、薩摩川内市、姶良市などに武家屋敷群が残っている。

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 鶴丸城跡(鹿児島市)

1602年(慶長7年)に構築された島津氏の居城で、天守閣のない屋形造りの城であった。それまでの居城だった内城(うちじょう)は、大龍寺となり、現在は大竜小学校敷地となっている。防禦用としては城山に中世以来の山城・上山城(うえやまじょう)(現在、城山公園等がある)があり、鶴丸城は居館として造営された。廃藩置県後、熊本鎮台の分営となっていたが、1873年(明治6年)、火災により本丸は焼失した。その後、第七高等学校、鹿児島大学の敷地となり、現在は県歴史資料センター黎明館、県立図書館などが建っている。

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 二階堂家住宅(肝付町国指定重要文化財)

大隅の旧家の残る高山町でも、江戸時代の郷士の住まいの面影を最も残しているといわれるもの。オモテ、ナカエの二棟の寄せ棟造りで、カヤ葺き。奥の槍の間などに当時の生活をしのぶ様子がある。

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 坊・交易屋敷跡群(南さつま市)

南さつま市坊津町の一角には、貿易の商談をしたり積み荷を置くために使われたという大きな倉があったといわれる。今では、その名残は石畳を残すのみだが、密貿易屋敷だったといわれる家があり、役人の目をごまかすための隠れ部屋や抜け穴など、至るところにカラクリがあり、当時をしのばせてくれる。

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入来麓伝統的建造物群保存地区(薩摩川内市)

入来麓は,中世山城である清色城を背景として、その山裾に近世の地頭館(御仮屋)を置き、東を流れる樋脇川との平地を中心的居住地といている。この樋脇川沿岸の植生及び清色城と一体となった歴史的景観が、ゆったりとした雰囲気で自然と調和している。玉石垣群と生垣等の緑あふれる環境の中、整然とたたずまいを残している武家屋敷群で、外から見えないよう設計、建築されており、防備に備えていることが伺える。

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